7月5日に群馬県邑楽町立図書館で脳の栄養講座「物語の中の安倍晴明」を受講できることになりました。そこで、予習を兼ねて安倍晴明について自分なりに調査を始めました。集めた情報は活用しないともったいない。ということで、事前に調べていた内容をこのページにまとめてみました。
栄養講座では市川祥子教授の講話が分かりやすくて、新たな発見もたくさんありました。
これについてはおいおいお伝えしようと思います。
さてさて、このページにまとめた内容は「事前研究」として、私のノートに記したものです。
小説や映画、ドラマで取り上げられている安倍晴明の実像についてどこまでせまれるかな?

そもそも安倍晴明とは何者なのか?
伝承によれば921年2月21日から1005年10月31日まで生きた平安時代の陰陽師であり、陰陽寮を統括した安部氏流土御門家の祖である。簡易は従四位下。
様々な伝説を残した最強の陰陽師と言われている。
*専門的な語句は後述・・するつもり(;^_^A
・・・陰陽師って何をする人?
古代日本の律令制下において、中務(なかつかさ)省の陰陽寮に属した官職の一つで陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって、占筮(せんぜい)及び地相(ちそう)などを職掌とする方技として配置された者(wikipedia)
つまり、陰陽師とは占いや天文・暦の編纂を行う官僚なのでした。そして、安倍晴明も陰陽寮に属する陰陽師の一人なのであります。しかし、晴明はかなり出世街道からははずれていて、960年(40歳)には天文得業生(てんもんとくぎょうせい)であったと記されているように、この年まで学生の身分だったのでした。当時の人々からすると、かなり貫禄のあった学生ではなかったかと・・・。
しかし、このころから村上天皇の占いを行うようになったと言われています。
で・・陰陽道とは何なのさ・・

あらゆる現象は陰と陽という力の相互作用によって成り立っているという「陰陽思想」から生まれた木・火・土・金・水があらゆる現象を構成し、説明する「五行思想」をもとに、日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の体系が陰陽道である。つまり、中国の思想や考え方を始点として日本で大成したものなのです。すごいね、日本人。陰陽道は、国家の公的な制度から私的な生活に至るまで影響をあたえていたため様々な場面で人々に頼られていました。・・・なるほど!
安倍晴明の生涯・・ざっとまとめてみると

921年誕生:物語では父は安倍保名(やすな)実際には安倍益材(ますき)とされています。母の伝説は後述。
960年:天文得業生。
961年:陰陽師官 970年:陰陽少属昇進
971年:天文博士兼任(50歳)
971年:花山皇太子の命令で那智山の天狗を封印する儀式を行う。花山天皇・一条天皇・藤原道長から信頼を得る。御堂関白記等に記される。
993年:一条天皇に禊をささげ、病が回復する。
1004年:五龍祭(雨乞いの儀式)を行い、雨を降らせ、天皇から贈物をいただく。
1005年:晴明没
安倍晴明の伝説・・・いっぱいあるぞ!
1 母は狐なり?
晴明の父親は、物語では安倍保名(やすな)であり、実際には安倍益材(ますき)と言われている。
そして母は、(物語では)狐であると言われている。これは、保名が和泉の国(現在の大阪府)にある信田明神に参拝したところ狩りに追われた白狐が現れたので、保名がこれを匿うと、後日狐は美しい女の人の姿となり葛之葉(くずのは)と名乗った。やがて二人は結婚し、晴明が生まれた。
2 晴明竜宮城へ行く
晴明は子供のころ、安倍童子(あべのどうじ)と呼ばれていた。童子は、いじめられていた(亀ではなく)蛇を買い取り、逃がしてやった。すると美しい女性の姿になった蛇は、童子を竜宮城へ招待した。女性は乙姫と名乗り、その父は竜王であると言った。。
竜王は娘をたすけてくれたお礼に「竜王の秘符(ひふ)」を童子に与えた。この秘符によって童子は天地から人間に至るまですべてのことが分かる能力を手にれることができた。また、人の過去や未来、動物の声を聞き取ることができるようになった。のちの晴明の活躍に欠かすことのできない力である。
3 花山天皇の退位
藤原道長の兄道兼の策謀でそそのかされた花山天皇は、天皇を退位し出家することを決意した。出家するために牛車で元慶寺へ向かっていた天皇は晴明の屋敷の近くを通った。「式神一人内裏へ参れ」晴明に命じられた式神が天皇の動向を察知し、晴明に伝えた。
4 カエルの受難
都の西、嵯峨野の高僧広沢僧正の住まいを訪れた晴明は、若い僧たちから「式神を使うところが見たい」とせがまれた。最初は断っていた晴明であるが、「式神を使ってカエルを殺してみてください。」としつこく頼まれ、「私を試そうとおっしゃるなら・・・。」と、近くの草の葉を摘み取り呪文を唱えるようにしてカエルに投げると、一瞬でカエルは星になった。僧たちは顔色が変わり恐ろしさのあまりぞっとしたと伝わる。
5 藤原道長を呪いから救う
ある日、子犬と散歩をしていた道長であったが、その子犬が前方をけたたましく吠え始めた。すぐに駆け付けた晴明はそれが誰かが道長を呪うために地中に埋めた土器であることを見破る。そこで式神を飛ばし犯人を突き止めたところ、それは蘆屋道満(あしやどうまん)であることが発覚した。道満は朝廷に仕えていない陰陽師で晴明のライバルとなる人物である。
6泰山府君祭(たいざんふくんさい)
重い病気を患い苦しんでいた僧がいた。師を救うため弟子たちは晴明を呼び出した。晴明は死者を蘇らせることもできる「泰山府君祭」を行うことを提案する。しかし、この祭儀を行うためには他人の命一人分を身代わりにすることが条件であることを弟子たちに伝えると、手を挙げるものが誰一人いなかった。すると、新弟子となったばかりの一人の若い僧が身代わりを申し出ため泰山府君祭を執り行うことになった。
師の容体はみるみる回復することができた。身代わりを申し出た若い僧の命も救われた。
晴明曰く、「泰山府君の哀れみであろう。」
*泰山府君とは陰陽道の主祭神のことである。
最後に・・・
安倍晴明について調べれば調べるほど、つづく・・・となります。今回の調査もはっきり言ってエンドレス状態です。彼に残された伝説の数もさることながらその深さ、永遠のライバル蘆屋道満がらみの壮絶な戦い等、まだまだ紹介できる内容がたくさんあるのですが、こんなに一生懸命に調べても、果たして誰かが読んでくれるのかな?まぁ、ブログなんてそんなものですけど。でも、久しぶりに一つのテーマを自分なりに追い求められたことで、自分的には満足かな・・?
私の自由研究、つづく・・かも知れない(^_^)/~
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